マンホールナイト実行委員会

はじめに

私たちが運営するイベント「マンホールナイト」は、2011年11月に第1回が開催されて以来、次第にその来場者規模を拡大し、マンホール愛好家にとどまらずひろく路上観察趣味者、散歩者などの方々にご来場いただいており、特にここ数回は関係者・プレス等合わせると100人を超える規模の動員を記録しております。

マンホールナイトは、初期にはいわゆる”濃い”愛好家ばかりが集まっていたことから、専門的でマニアックな発表ばかりであることのほうが好まれていました。しかし、規模の拡大とともに初心者や異分野からの来場者がふえてきたことを受け、初心者向けの入門編のようなものを行う必要性は実行委員会内部でも議論されてきましたし、来場者からも要望を寄せられてきました。

とはいえ、発表の枠は限られていること、業界発の「マンホールサミット」のようなより初心者向けのイベントが他にもできてきたこと、この種のイベントは初心者なりに濃い人間がはしゃいでいる様子が見世物たりうるのではという意見もあること。このような事情を総合的に勘案の上、改めて初心者講座のようなものを行うのは当面見送ろうというのが、実行委員会のおおよその見解となっています。

そこで、代わりに発案されたのがここにお届けする用語集『マンホール趣味を知るためのキーワード』の製作です。

本書は、マンホールナイト界隈のマンホール愛好家の間で通用している専門用語(造語)や、独自の意味合いをもって通用している用語の意味を解説するものです。マンホールナイトや周辺イベントで説明もなく使われていて、初心者の方の理解の妨げになっているだろう用語を整理しました。用語の分類をせず五十音順に掲げているのは、全くの初心者の方に便宜を図るためです。

テキストはマンホールナイトのウェブサイト上でも無償公開予定ですが、有償の冊子版には理解を助けるための図版を多数収録しておりますので宜しければお求めください。

なお、上水道・下水道・汚水・雨水・合流……といった類の基本用語は収載していません。こうした「隠語」ではないものは、Google等で検索したほうが迅速に確実な情報を得られるはずで、素人に過ぎないマニアが半可通をひけらかすより初心者にとっても得だろうとの判断から、収載対象からは外しました。

2019年5月
マンホールナイト実行委員会
(文責:河岸唱平)

目次

【あ】
【か】
【さ】
【た】
【な】
【は】
【ま】
【ら】

【あ】

いい蓋の日(いいふたのひ)

11月2日のこと。これが「いい蓋」の語呂合わせであることまでいちいち説明すると、初心者をあまり馬鹿にするなと怒られてしまいそうだが、記念すべき第1回マンホールナイトのチラシには「2011年11月2日(イイフタ)水曜日 19-24時」とわざわざ書いてあった。べつにチラシ制作者には来場者を馬鹿にする意図はなかったはずである。本稿を書いている筆者にもない。

説明が前後したが、これは第1回マンホールナイトを開催するときに、開催日をどうしようかとなって案出されたもの。翌日が文化の日であり、散会が遅くなっても次の日は休日であることも都合が良かった。そのせいで最初期のマンホールナイトでは有志が始発まで会場に居残ってのオールナイトが展開されていたこともある。

過去のマンホールナイトのうち第1、3、5、6回はこの「いい蓋の日」に開催された。第7回以降も、概ね11月はじめのそれに近い時期の土日祝日に開催されている。

犬の集会(いぬのしゅうかい)

現行の東京都下水道の蓋のうち、小型のものをいう。

この蓋は中央に桜の花がデザインされている。5枚の花弁それぞれの外側に2つ・内側に1つ開けられている穴がちょうど目鼻に見え、さらに花弁の端の2つの突起が耳のように見えることから、いつしか犬の集会と呼ばれるようになった。

これは犬ではなくカピバラなのではないかという声も根強くあるのだが、犬とみる派は「こじり穴の周りの意匠がどう見ても犬小屋である」などと主張している(もっともカピバラが普通どんな小屋で飼育されているのかまで把握した上での主張ではなさそうなので、この犬カピ論争はまだまだ決着をみそうにはない)。

5頭の犬あるいはカピバラが見出されるのは、あくまでも小サイズの蓋に限られる。中サイズ、大サイズの蓋では花弁の穴が増えてしまい、動物の目鼻に見立てることはできない。あれが犬であるとすれば『遊星からの物体X』的なことになってしまい、たいへん気色悪いのである。

異文化交流(いぶんかこうりゅう)

第5回以来、マンホールナイトでは直接マンホールとは関係のない発表が最低ひとつは行われている。これはもちろん意図的に行われていることで、発端は第3回マンホールナイトにおける林丈二氏『マンホールのふた 日本篇』等の著者)の基調講演である。マンホール趣味の創始者直々に「路上には面白いものがごまんとあるというのに、マンホールの蓋ばかり相手にしているのはいかがなものか」という趣旨のお言葉をいただき、我々としても視野を広げることを検討するようになった次第である。

その結果、安直にも導入されたのが異文化交流枠と称する、他ジャンルの路上観察者を招聘しての発表である。第5回では送水口、第6回では暗渠とトマソン、第7回では穴開きブロックと「古絵葉書にみる鉄塔・木塔・火の見櫓」、第8回では粘菌、第9回では「探さない」(これは説明が難しいが、”なにを見るか”と言うよりは”どう歩くか”、大袈裟に言えば”どう生きるか”まで踏み込んだようなもの)、第10回では顔ハメ看板……という具合に、その筋の専門家を招いて入門(ではないものもあったが)講義をお送りしてきた。

これらはおおむね好評をもって迎えられており、もともとマンホール愛好家の集団であった実行委員や常連の方々にも多分野の路上観察に開眼する人が続出している。測量好きが嵩じたあげくペーパー測量士となるものまで現れた。

越境蓋(えっきょうふた・ぶた)

汎用品ではないマンホールの蓋には、たいてい用途などとともに設置者の名称や紋章が鋳出されているものである。その蓋の所有者・管理者・責任者を適宜明らかにするためのものだ。したがって、A市の下水管にB市の蓋が設置してあるようなことは、基本的にはない。

しかし実際には、杉並区内に八王子市の蓋があったり、札幌市内に東京都の蓋があったりするような事例はしばしば報告されている。これは工事中に仮置きされた蓋がそのまま残ってしまったり、業者の不注意で入れ違ってしまったり、あるいは廃止団体の蓋の在庫が汎用品扱いされてしまった等の理由から発生するものと考えられる。このように、本来あるべき領域の外に紛れ込んでしまった蓋を越境蓋と呼んでいる。

注意が必要なのは、境界付近に隣町の蓋が設置されている状況である。これは水道管や下水管が地理的要因あるいは広域処理の必要ゆえ乗り入れてきている場合があるからで、その場合その蓋はまぎれもなく隣町の設備であって、上述したような越境蓋とは性質が異なるものである。例えば、杉並区内には、武蔵野市所有の管渠が一部に存在し、そこには武蔵野市章の入った蓋が正当に設置されている。自治体の境界線は、上下水道の敷設の便宜とは一致しない場合があるということだ。

【か】

神田下水(かんだげすい)

東京で最初の西洋式下水道。幕末から明治にかけて大流行したコレラの対策として公衆衛生の改善が急務とされたことを受け、オランダ人技師ヨハニス・デ・レーケの指導の下、1884~85年に敷設された。現在の神田駅周辺に614mが敷設されたところで、財政難からそれ以上の拡張工事は見送りとなった。

レンガ造りの卵形管渠は一部が現存し、現役の下水管として稼働中である。1994年に東京都の史跡に指定されている。

この一帯になにか特殊な蓋が設置されて残ってはないかと探索する試みは林丈二『マンホールのふた 日本篇』(サイエンティスト社、1984年)のころから続けられているが、若干の古そうな私設蓋はあるものの明治まで遡るようなものではなく、神田下水の遺物は路上にはさすがに発見できないようである。

そういえば、荒俣宏『帝都物語』の天野屋が出てくるあたりに少しだけ神田下水のマンホールがどうのという記述があったような記憶がある。

疑似蓋(ぎじふた・ぶた)

一見マンホールの蓋のように見えながら、実際にはそうではない路上構造物の総称。単なる飾りであるもの、方角や名所旧跡を記した道標的なもの、段差解消のため置かれたもの、植木の根本を覆うもの……など用途や形状はさまざまで一概にいえない。蓋との見分け方も一概にいえないのだが、開閉や取り外しをする仕掛けが見て取れるかがポイントだとは言えそうである。

そういうものを「蓋ではない」ことを以て疑似蓋とひっくるめるのはマンホール愛好家のエゴイズムで、反対に”路上円盤状モニュメント”マニアたちはマンホールの蓋を見るたびに「クソッ! また”疑似路上円盤状モニュメント”だ! 下水道なんてなくなってしまえ!」と毒づいているのかもしれない。

虐待蓋(ぎゃくたいふた・ぶた)

コンクリートで塗り込められていたり、アスファルトカッターで切り傷をつけられていたり、上に他のものを被せられていたり(点字ブロックのような必要上しかたないものもあるが)、無理やり表面の紋章や文字を削り取られていたり……という具合に、涙なしに見られぬ状況を呈している蓋を虐待蓋と呼んでいる。極端な例だと、蓋の上にブロック塀を築きあげてしまって開閉不可能になっているものさえある。

はじめの3つの例は、設置当初と道路の利用が変わってしまったり、道路工事の際いろいろやらかしたことによって生ずるケースが多いと思われる。文字や紋章が削られているのは、蓋にもともと書かれていたのとは違う用途や場所に使用される際に、間違いがないようにしているケースが多い。私有地上に、東京都下水道局の蓋から「東京下水道」の文字や下水道局の紋章を削りとったものが置かれているケースなど、よく目にする。ブロック塀は……いったいどういうつもりなのだろう?

ギラリ(ぎらり)

蓋に日光や街灯の光がギラリと反射した状態、およびそれを撮影した蓋写真をギラリと呼んでいる。もともとは鉄道写真の用語で、車体が光を照り返しているさまを切り取ったものをそう呼ぶことに倣った命名。

マンホールの蓋写真は基本的には図柄と設置状況を正しく記録することを志向する。暗がりで撮られ一部分に強い照り返しのあるギラリ写真は、記録という観点からあえていえば、失格といっていい。

しかし、そのように写ったものを定義してジャンルとして確立することで、その種の写真の味わい方などが共有されて面白いのではなかろうか、と考えたのがマンホールナイト・竹内実行委員である(この手の趣味の世界では、面白そうならそれだけで提唱の理由となることがある)。その実行委員により2012年にギラリ蓋の概念が提唱されると、一定の共感を集め、蓋写真ジャンルの一つとして認知されて現在に至っている。摩耗した古い鉄蓋が返す鉛色(鉄だけど)の反射にはファンが多い。

くしゃまんべ(くしゃまんべ)

東京都北区豊島(最寄駅は王子)にある古書カフェ。竹内実行委員が店長を務める。もともとの専門はサーカス・大道芸などであったが、マンホールや佐渡島がそれに加わった。演芸や音楽のライブや講座が不定期開催されている。昭和の団地の一階で、むかし先代のころはラーメン屋だったという。

店長はマンホールナイト実行委員の創設メンバーのひとりであり、第2回までのマンホールナイトはこの店で行われた。立見でいっぱいに詰めても入れるのは20人強で、マンホールナイトの想定外の急拡大を受けて会場には使われなくなったが、今でも実行委員会の拠点となっている。

なお竹内実行委員はいい蓋の日、ギラリ、萌え点などのけったいな用語・概念の提唱者である。

蔵前水の館(くらまえみずのやかた)

東京都下水道局がもつ広報施設のひとつ。台東区蔵前の1984年まで蔵前国技館があった土地に、東京都下水道局北部下水道事務所とともに建っている。入館無料であるが、開館は平日日中のみで一週間前までの予約が必要である。

外観は蔵の形をしている。展示施設はほぼすべて地下にあり、目玉のひとつは実際に使用中の浅草橋幹線(管径6.25m)に直接入っての見学。下水も流れているから相応に臭くはあるが、傍から想像するほどでもないと思う。本物の下水管だけあって、大雨のあとなど危険がありうる状況では見学できないそうだ。

マンホール愛好家、とりわけ骨董蓋の愛好家にとっては地下の展示室こそが目玉かもしれない。大崎町・品川町・王子町・千住町・大久保町・尾久町・高田町・巣鴨町・西巣鴨町といった1932年の東京市拡大の際に廃止された郊外の町営下水道の蓋や、東京市の燈孔蓋などが展示されているのだ。ものによっては台に立てかけてあって、厚さや裏の構造なども確かめることができる。その他、屋外の庭園部分にも掘り出されたレンガ積みマンホール(蓋ではなく、マンホールそのもの)や巣鴨町燈孔蓋といった現物資料が数点展示されている。

なお地下までは階段を降りるしかない。その長い長い長い階段の踊り場には、国技館があった縁から、力士の手形入りの皿など相撲関連の物品が飾ってある。賭博で追放された力士のものもここでは抹殺されぬまま混じっているのが下水道局の懐の深さだ。

東京都下水道局による同様の広報施設には、主に子供の社会科見学向けの「虹の下水道館」(江東区有明)や、やはり使用中の管渠内に入れる「小平市ふれあい下水道館」(小平市上水本町)がある(所在地は上水なのか……)。そのほか各水再生センター(下水処理場)でも花見の時期などに一般公開イベントを行っていることがある。

なお下水道の広報施設・ミュージアムは全国にあり、「名古屋市上下水道局 下水道科学館」(名古屋市北区)、「大阪市下水道科学館」(大阪市此花区、リニューアル中)などが有名。

リンク:蔵前水の館

下水構え(げすいがまえ)

下水道の部局の紋章をつくるときしばしば行われるのが、「下水」の文字を円く図案化し、そのなかにその自治体の紋章を入れるというやりかたである。この下水をかたどった円い囲いのことを、漢字の部首(囗=くにがまえ等)になぞらえて「下水構え」と呼んでいる。

おそらく発祥は東京都下水道局の紋章で、これはその前身の前身くらいに当たる東京市下水改良事務所の紋章として1911年に告示されたのが最古であろうとされている。東京市の下水構えと同型のものは全国で散見されるが、おそらく東京市下水道に範をとった自治体が紋章まで流用したものではないかと思う。

「下水」を円く図案化する方法は、東京市の方法に限らずいくつかあるが(武蔵野市で使っているものなどは類例をよく見かける)、たんに下水構えといったときイメージされるのは東京市のものであることが多いと思われる。

「下水構え」の語は、じつは2011年6月20日に渋谷あたりの路上で本稿の筆者がつくったものである。マンホールナイト発起人である清水実行委員がツイッターのアイコンを下水構えを取り入れたものに変えているのに気づいた筆者が、その場の思いつきで漢字の部首ふうに命名しただけのものであった。どうやら提唱が待たれていた概念らしく、わりとあっという間にマンホール趣味界に広まっていったのは命名者からしても驚きだった。

下水道台帳(げすいどうだいちょう)

下水道について、どこにどのような管渠やマンホールなどの設備があるかを記した地図で、維持管理の基本となる資料である。下水道法第23条で調製・保管と閲覧に応じる義務が定められているため、公共下水道があるところでは例外なく製作されているはずである。自治体によってはインターネットで閲覧が可能であるし、そうでなくても下水道の担当部局に行けば紙のものを閲覧できる。

本来は工事業者などが見るためのものだが、マンホール愛好家や暗渠愛好家もちょっと気になる蓋や地形を見つけると、その都度検索して読みふけったりしている。下水道越しに潜入してのテロを画策する不逞の輩も読むであろうことから、都心など安全保障上の重要地区は公開制限があることも。

東京都区部の場合、インターネット公開(上述した官庁街など除く)のほか、都庁の台帳閲覧室で公開している。下水道管の位置・深さ・管径・管種、マンホールの位置・用途・蓋の種別等が500分の1の地図に書き込まれていてとてもおもしろいのだが、管渠の設置・改修年代のように紙台帳にのみ記載されている情報もあるので、関心によってはインターネットだけでは済まず都庁詣でが必要になる。なお、この台帳の地図のメッシュはそのまま番ホールの位置情報に使われていて、紙の台帳に振られたページ番号をうまく変換すると、番ホールのキャップの記番号を導き出せる仕組みになっている。

台帳の凡例は街によってまちまちで(駄洒落ではない)、その街のものを読みこなすにはある程度の熟練がいるかもしれない。東京都にはない情報を載せている街もあって、例えば広島市のものはマンホールの設置年代までインターネットでわかるようになっている。公開の方法もさまざまで、市域の狭い武蔵野市などは全ページのPDFをウェブサイトに掲げるシンプルな仕組みになっている。

骨董蓋(こっとうふた・ぶた)

その名の通り骨董品のように古色を帯びた希少品のマンホール蓋を骨董蓋と呼んでいる。明確な定義のある言葉ではないが、誰もが骨董蓋と認めるのは戦前まで遡るような年代ものであろう。とはいえ骨董蓋かどうかの線引きは地域やジャンルによって行えばよく、上下水道が敷設されたのが戦後であるような土地でも、創設期からの遺物は骨董蓋に含めてもよいのではないかと思う。

明治・大正からさまざまなインフラが地下に敷設されてきた東京のような大都市では、交換されずに生きのこった戦前からの蓋がまだどうにか点在している。林丈二『マンホールのふた 日本篇』は1980年代前半の骨董蓋事情を伝える点でも貴重な文献であり、今日の骨董蓋探索においても基本書となっている。

東京市は1932年に周辺82町村を併合しておおよそ今の23区の領域に拡張されたが、このとき併合された町が独自の上下水道を営んでいたケースが延べ十数件あり、これらの蓋の遺物を探し求めるのが東京の骨董蓋愛好家の一大関心事となっている。

また、東京市下水道局の蓋であっても、戦前には敷設されたが戦後はほとんど設置されていないと思われる種類の蓋(燈孔や自働洗滌槽など)は骨董蓋探索の主要テーマのひとつである。

ところで骨董蓋の話をするとよく聞かれる質問に、最古のものはいつごろの蓋なのかというものがある。コインのように製造年が表に鋳出された蓋も一部にあることはあるのだが、大抵の蓋ではそれはさまざまな手がかりから推測することしかできない。無くなっている自治体や会社の蓋であれば、母体の廃止年以前に製造・設置されたものであろうと考えることができる。東京市下水道の蓋であれば、1915年頃・1929年・1933年の設計図集が残っているので、それを照らし合わせれば設置年がおおよそ絞り込めたりもする。創設工事当時の蓋である可能性が高ければ、公文書館の工事記録から推定するなどという方法も可能である。

東京の場合、明治大正まで遡る可能性がある蓋もあるにはあるが、確実に断定できる最古のものはせいぜい昭和一桁の蓋である。国内では京都市内に大正5年の銘入りの蓋が現存しているほか、神戸市や明石市などに明治大正期かと推定される蓋が残っている。海外だともう少し古いものもあるようで、筆者はチェコ共和国プラハ市のマラー・ストラナ界隈で1909年銘の(つまりハプスブルク帝国の一部であった時代の)蓋を見たことがある。

骨董蓋探しの醍醐味は、未知の蓋を路上に見出すことである。とりわけ現存情報のなかった種類の蓋を発見したときの喜びは格別である。大きな発見はそうそうあるものではないが、最近も現存品が一つも知られていなかった戸塚町(新宿区の前身の一つ)の蓋が発見されるなど、まだまだ人知れず眠っている骨董蓋は少なくないものと期待される。

それらに光を当てるには、なるべくたくさんの蓋に関心を持つ人々が路上に目をやること、それしかないのである。

初心者諸氏の覚醒に期待する(←えらそう)。

ご本人登場(ごほんにんとうじょう)

デザイン蓋の鑑賞・写真撮影方法のひとつ。デザイン蓋を、その蓋に描かれた当地の名所などの現物とともに写し込むことをいう。

蓋に観光名所の寺が描いてあればその寺の前にあるデザイン蓋を撮る、富士山が描いてあれば富士山の見えるロケーションに設置された蓋を撮る、という塩梅である。画題がこのように動かないものであれば、適当な位置に蓋が設置されていない場合はとうぜん撮れない。ないからといって外して現地まで持ってきてはいけない。捕まります。

蓋に動物が描いてある場合はどうか。例えば奈良市の鹿の絵が描かれたマンホールなら、鹿のほうが来てくれれば撮れるということになる。マンホールのそばで鹿煎餅を開披すればうまいこと鹿を誘導できるかもしれないが、やつらの聞き分けがそんなにいいかは疑問で、なかなか涙ぐましい苦闘を強いられそうである。

犬を5頭飼っている東京の方には、ぜひ「犬の集会」蓋でのご本人登場写真を撮ってみてほしい。もちろんカピバラでも結構だ。筆者はカピバラをもふもふしてみたいと兼ねてから思っているので、決行の際には呼んでいただきたいものである。

【さ】

JIS蓋(じすふた・ぶた)

日本工業規格(JIS)の、JIS A 5506「下水道マンホールふた」の図面に参考として載せられた地紋をもつ蓋のこと。図面にも「模様、紋章座及びガス抜き孔は、参考として示したもので規格の一部ではない。」と但し書きがあるように、この模様自体はJIS規格でもなんでもないことに注意が必要だ。そういう紛らわしさがあるので、筆者個人的にはあまり使いたくない言葉ではある。

東京市型マンホールの地紋と同じものを指していると思ってよい。つまり、紋章座の外側が3つの同心円で区切られ、内陣(紋章座と2つ目の同心円の間)が放射線によって8分割、外陣(2つ目の同心円と縁との間)が14分割されたものである。

これの凹凸を逆転させた裏写しのものを裏JISと呼んだり、同心円や放射線の数や形状が異なるものを異体JISと呼んだりすることも行われている。通常8分割されている部分に放射線が少なく2分割となっているものがたまにあり、長屋蓋と呼ばれるが、よく考えれば細かく分割されている普通のやつの方が長屋なのではと思えたりする。

あの地紋はありふれているだけに却って、いろいろと呼び名があり定義も定まらない状況にある。過去には分割数や線の数、文字を入れる箇所の有無等を数式で表現する試みなどもあったが、なかなかうまい表現方法は見つからずにいる現状がある。

地味蓋(じみふた・ぶた)

いわゆるデザイン蓋ではなく、幾何学模様などの地紋と紋章・文字だけからなるような蓋のこと。デザイン蓋出現までは蓋といえばほぼ地味蓋だったはずで、わざわざ地味であると断るような言葉自体なかったはずである。無声映画はトーキー映画出現までたんに「映画」だったのと似ている。このようにあとになってから時代を遡る形で付けられる名称のことをレトロニムと言ったりする。

地味だからつまらないなどと思ってデザイン蓋ばかり追いかけているうちは素人だ、とのたまう向きも玄人筋にはいらっしゃるようだが、初心者諸氏におかれてはそのへんは気にせず、まあ好きに蓋生活を送ればいいのだと思う。

とはいえ本稿の筆者も、地味蓋の面白さ・奥深さは、ある程度蓋を観た経験の積み重ねがないとじっさい理解しづらいものではないかとも思うのだ。年季を重ねた郵趣家は、華々しい記念切手より次第に普通切手に惹かれてゆくものだそうである。また、和鳥趣味もそのへんの野原にいくらでもいるようなホオジロに始まって、極めるとまたホオジロに行き着くとかいうが、そんなのにも近いのかもしれない。

これはデザイン蓋の項で詳述することだが、地味蓋であっても紋章・文字の配置や地紋の選択はまぎれもなくデザインではある、ということは付言しておく。

地紋(じもん)

マンホールの蓋のうち、紋章部分と文字部分を除いた地の部分の紋様を地紋と呼んでいる。通常は地味蓋についていわれる用語であり、デザイン蓋のイラスト部分のことを指すことは普通ない。下水用の地味蓋の場合、東京市型(JIS蓋)や名古屋市型のものが全国的に古くからよく使われていた。その他には格子柄・斜め格子柄・ハニカム柄などがよく見られる。籠目文様や毘沙門亀甲文様(テトラポッドのような形を敷き詰めたもの)のように凝ったものは、それだけで蓋メーカーの特定に至ることもある。全くの無地というのも地紋の一つと言えるが、そうしたツルツルの蓋は滑りやすく、実用上の不備があることから使用は稀である。

自治体や団体特有の地紋というものもある。例えば戦後しばらくまでの東京市/都水道では、消火栓を除く蓋に東京市/都章を無限に連鎖させた地紋を採用していた。格子柄の枡目に×印を入れた地紋は、東京帝国大学の蓋特有であるため、東京帝国大学地紋と名付けられている。

特記すべきものとして、下水構えに入った市章を蓋全面にあしらった行田市の蓋がある。これなどは地紋が、というか地が存在しない蓋と言うことができそうだ。

消火用吸水孔(しょうかようきゅうすいこう)

橋(の遺構)の路面上にまれに設置されていることがある骨董蓋。2018年現在、渋谷川暗渠の八千代橋跡に東京府のものが2枚、善福寺川の和田廣橋に東京市のものが1枚、汐留運河の浦島橋に東京市のものが2枚あることがわかっているだけである。林丈二氏によれば80年代にはもう少し数が残っていたという。

解明の経緯は省くが、筆者の調査によれば、これは通常の上下水道に属する蓋ではなく、戦前期に防空用(空襲対策)に設置されたという「橋梁吸管投入孔」と同種のものである可能性が高い。これは橋の欄干越しに吸管を投入するとその高さのぶん吸い上げか難しくなるので、橋の路面強度を犠牲にしてでも穴を開けて直接川水を吸い上げられるように、との思惑で設置されたものらしい。

実際に使われていたのかどうか気になり、筆者は空襲体験記の類を大量に借りてきて2,000ページほど読んでみた。すると、1945年5月の山手大空襲に渋谷で罹災した方が、「(引用者注:八千代)橋には消防自動車が立ち往生していて渡れず」(※)と述べているのを発見した。消防車は単に橋を渡ろうとしてそうなったのではなく、消火用吸水孔を使うためにそこにいたのではないだろうか? 水道が寸断され消火栓が不安定な状況であり、そこにせっかく存在する設備を生かさなかったとは考えにくい。

また筆者は迂闊にもこの手記を読むまで、橋の上で水など汲んでは避難経路として役に立たなくなる、ということは思いもしなかった。なんと貧弱な想像力。もっとも隣組防空では、いよいよとなるまで消火を止めて逃げることは許されなかったようである。

なお、3箇所の現存例のうち和田廣橋の蓋については、都立公文書館で架橋工事の記録文書が見つかったため、発注時期や鋳造業者が判明している。なんと図面の写しまで残っていた。これらの文書から、和田廣橋の蓋は1937年3月に設置された蓋であるということまで明らかになっている。

※出典:『表参道が燃えた日 山の手大空襲の体験記』(「表参道が燃えた日」編集委員会、2009年)

【た】

デザイン蓋(でざいんふた・ぶた)

地味蓋ではなく、その自治体の名所風物などのイラストをあしらった蓋を一般にデザイン蓋、デザインマンホールと呼んでいる。特に、鋳造された蓋の上にエポキシ樹脂などで着色を施したものはカラー蓋などと呼ばれている。最近のマンホール本やマンホールカードに掲載されるのは多くの場合カラー蓋である。最近マンホールに興味を持った人々の多くは、デザイン蓋を入り口としているのではないだろうか。

起源は定かではないものの1970年代に萌芽が生まれ、1980年代に下水道のイメージアップ戦略の中で普及が図られた。林丈二『街を転がる目玉のように』(筑摩書房、1989年)などに当時の状況への言及がある。本格的な普及は平成以降で、今日では公共下水道を整備する自治体の大多数に何かしらのデザイン蓋が存在するものと思われる。

カラーのデザイン蓋は、無着色デザイン蓋や地味蓋の倍以上のコストになることもあり、その街のマンホールのうちごく一部にしか設置されないことがしばしばある。そのため、ときには発見に至るまでかなり探し回らなければならない。だいたいはメインストリート、観光名所、役所周辺などを丹念に見ていくのが定石だが、意図の読めないけったいなところに設置されていることもあるようだ。

意匠となるのはその街を代表する名所旧跡、出身人物、名産品など。「町おこし」の美名のもとに予算がつくためだろうか、その土地の観光客誘致の戦略とも密接に関わったなにかが描かれていることが多い。珍奇なケースでは、建設構想中の橋を描いたものの着工されず、結局街に存在しない橋が描かれたデザイン蓋だけが残された、などというゴーゴリ的な笑い話もある。

このように、デザイン蓋というと近年のものという傾向はあるのだが、デザイン蓋普及から今日に至る間には「平成の大合併」があったことは注意するべきだろう。日本中の路上には、合併により廃止され今は存在しない自治体のマンホールが存在する。これらは当然これから新設されることはなく、消耗すれば路上から消えていく定めにある。マンホールの耐用年数は、車道では十数年程度である場合もあり、既に絶滅の危機にある、あるいは路上絶滅したデザイン蓋も稀ではない可能性がある。

ただし、デザイン蓋という呼称には問題があるのではないかとの指摘もなされている。列挙すれば、どこからがデザイン蓋であるのかという地味蓋との線引き問題、近年目立ってきた絵を描いたプレートを鉄蓋に貼り付けるだけの蓋をデザイン蓋に含めていいのかという疑問、そもそもどんな地味蓋であってもデザインが施されていないものはないはずだという指摘などである。確かに、極論すればまったくの無地でもそれが意図されたものであるならデザインであるはずだ。いまさら言っても仕方ないが、デザイン蓋ではなく、はじめからイラスト(レーテッド)蓋などの呼称をしておくべきだったのだ。

こういう議論は1910年代頃からの美術では重要なポイントであったはずで、バウハウス系の工業デザイン論などを繙けば有益な示唆を得られたりするのではないか(知らんけど)。

第10回マンホールナイトではこれらの諸問題を整理し、いわゆるデザイン蓋を「鋳造全面デザインマンホール」と再定義し、中間的なものについては「デザイン系マンホール」と呼称しよう、という提言が竹内実行委員により行われた。これが定着するかはわからないが、意義ある試みといえよう。

テヅルモヅル(てづるもづる)

テヅルモヅル(手蔓藻蔓)とはクモヒトデの一種。普通のヒトデと違い、5本の腕の先が何重にも枝分かれしていて、それぞれが触手となってめいめいばらばらに動く。なかなかグロテスクなので、そういうのが苦手な人は画像検索してはいけない。動画検索はもっといけない。夢に出ますよ、あれは。

このテヅルモヅルの腕のように、蓋を仕切る放射線の先端が縁と接するあたりでY字型に枝分かれしている地紋をテヅルモヅルと呼んでいる。命名は本稿の筆者である。

林丈二『マンホールのふた 日本篇』によれば、荒玉水道町村組合、井荻町水道、成城学園水道購買組合、岐阜市などが使用していた。採用例はさほど多くない地紋であり、また近年使用されている事例がどの程度あるのかもよくわからない。現在知られる路上現存例は、東京では杉並区内に荒玉水道のものがある程度。全国的には水戸市などにそう古くない採用例があるようだ。

この地紋、文章で説明すればとくに複雑怪奇なものではないのにもかかわらず、見てみると非常に面妖なデザインに仕上がっている。現物を一度見ていただけると、なぜテヅルモヅルなどというけったいな比喩をしたのか、あなたも得心が行くのではないだろうか。

展示蓋(てんじふた・ぶた)

路上に設置されている実用品ではなく、公共施設や役所などで見本のように展示されているマンホールの蓋のこと。カラーのデザイン蓋などがこのような取扱を受けているケースが多い。

実用に供されている蓋は、年月が経つうちに汚れや傷、退色といった損傷を多少なりとも被るものだが、展示蓋では製造当初のきれいな状態が長期間維持されるので、美品を見たい場合や記録のための写真を撮りたい場合には重宝される。展示蓋の写真を専門に撮り集めているマニアもいるほどだ。

中には実用に供されていない蓋が展示されている場合もある。東京都下水道の現行蓋(通称・番ホール)は、路上には無着色のものしか存在しないが、下水道局の施設には着色を施されたものが展示されていて、蔵前水の館で配布されるマンホールカードの題材にもなっている。もっともこの着色は、図案の桜や銀杏などを絵解きするためという性格が強く、路上にあるとひどく悪趣味に映るであろう代物である。

このほか、路上から撤去された骨董蓋を施設に保存して展示しているような例もあるが、そういう蓋は保存蓋といわれることが多い。

東京市型(とうきょうしがた)

東京市下水道で、1913年の着工当時かそれに近い時期から使われていた蓋の地紋のこと。いわゆるJIS 蓋と同じ紋様と考えてよい。

都立中央図書館に1915年の図面が残されており、それによれば東京市下水改良事務所工務課の吏員による設計ではないかと思われる。しかし、この地紋がかれらのゼロからの創案によるものなのか、あるいは欧米製の蓋の模倣なのかは特定しきれない。欧米にも、同心円と放射線から構成されたより古そうな蓋は少数ながら存在する模様であるが、東京市型そのものではないようだ。

東京市に範をとった自治体が模倣した結果広まり、戦前の東京市近郊では、大久保町、東部下水道町村組合、千駄ヶ谷町などで同様のものが使われた。品川町では、凹凸を逆にした裏JIS 蓋を採用している。王子町では、外陣を14ではなく12 分割し同心円を減らしたものが使われた。東京府には外陣を16分割したものもある。これらの変則的な事例が東京市型あるいはJIS蓋に含まれるか否かには異論もあるのだが、変則東京市型などと呼んで東京市型に含めて扱うことも多い。

作図といえば、外周の14分割というのはなかなか難しい。というか、定規とコンパスだけで正14角形を描く方法はない。三角関数で、外接円の半径に対する一辺の長さの比を求めることはできるので、うまく半径を設定してやれば定規とコンパスだけでもだいたい近いものは描けるそうだ。あるいは、分度器で360÷14=25.714285…度になるべく近い角度を測るか? たぶん然るべくやればもっと正確な方法があるのだろうが、なにぶん筆者は幾何に疎い。1915年の吏員はどうやったのだろうか。……あ、思いついたが、14分の1ごとに印をつけた紐を輪にして円周を作るってのはどうだろう。そううまく歪みなくは行かないかな?

東京都水道歴史館(とうきょうとすいどうれきしかん)

文京区本郷にある東京都水道局のミュージアム。入場無料。本郷給水所に隣接して建つ。本郷給水所(もと給水場)は、1898年に給水が始められた、芝給水所に次いで古い給水場である。正門前の通りには、「水道」とのみ書かれた骨董蓋2組が残っている。これは一見して東京市水道の骨董蓋の中でもとりわけ古いものとわかる逸品で、一説には操業開始当時からの蓋である。そこまで遡れないとしても、現役の水道蓋では東京最古のものであるとほぼ言い切ってよいだろう。

館内の常設展示に蓋はさほどないが、江戸時代の水道の木樋だの明治大正期の水道器具だのがいろいろ展示されており面白い。三階の閲覧室には水道の歴史資料が揃っている。江戸時代の水道や戦前期の郊外町村の水道についても豊富な文献を有しており、ここと都立中央図書館だけで、東京の水道史研究の文献探しは大体まかなえるかもしれない。

水道歴史館では、現役を退いた骨董水道蓋の保存もしている。井荻町水道の大型テヅルモヅル蓋や矢口水道株式会社の量水器蓋など、いまは路上現存例が知られていないきわめて希少な蓋を含むコレクションなのだが、通常非公開であり、見るには気長に展示の機会を待つしかない。

リンク:東京都水道歴史館

燈孔(とうこう)

人が出入りするための人孔(マンホール)に対し、管渠内に照明を下ろすための小さな縦穴を燈孔(ランプホール)という。人孔と人孔の間隔が長いところや、管渠の屈曲部(蛇行する川を下水に転用した暗渠に多い)に設ける。蓋はマンホールと比べて半分ほどの大きさで、縁に蝶番がついていることが多い。人孔のミニチュアのような姿にはどこか愛嬌もあり、骨董蓋愛好家には珍重される蓋である。

戦前に設計された下水道では標準装備であるが、人孔に比べてあまり役に立たないことから廃れ、戦後間もなくの下水道技術書では「無用の長物」呼ばわりされていることもあった。戦後に施工された下水道で、燈孔を新たに設置したケースは全国的にも稀と思われる。「下水道統計」によれば、戦後に燈孔を新たに設置したらしきケースは釜石市、浦和市くらいにとどまる。というわけで、燈孔はそのほとんどが骨董蓋であると考えて差し支えない。というか骨董設備である。

先に述べた「下水道統計」では、主だった自治体について人孔・燈孔などの設備の数を一覧表にして載せていた。燈孔が立項してあったのは1970年くらいまでなのだが、各年度の表をたどっていくと燈孔を設置したことのある街とその数量がわかる。これを手がかりに、燈孔所在都市のそれらしい道(先述したとおり暗渠風のところなど)を探っては発見している探蓋師もおり、第2回と第5回のマンホールナイトでその成果が示された。

燈孔の路上現存が確認されているのは、目下のところ東京市・東京府・大崎町・川越市・新潟市・静岡市・名古屋市・豊橋市・岡崎市・津市・京都市・広島市。戦前から下水道を整備していた街なら、「下水道統計」の記載から漏れていても、どこにあってもおかしくないと思う。発見報告数は探蓋師の多い東京が最多であるが、他にも岡崎市で十数枚に及ぶ残存確認報告がある。丹念に探せば名古屋市などはさらに多いかもしれない。

東京で現存例が多いのは、昭和一桁時代に暗渠化された中小河川の上。そういうところでは旧流路上にまとまって残っていることがあり、燈孔銀座などと呼ばれる。

【な】

ナイスマンホ!(ないすまんほ!)

世人曰く、マンホールのいとをかしげなるを称ふるにナイスマンホ!なるからことばを以てす。

古文調にした意味はさしてないのだが、そういう意味合いの掛け声・合言葉のようなものと思っていい。Twitter上でよく用いられ、またマンホールマップの投票システムでは「いいね」の意味でナイスマンホ!の語を用いている。

#manhotalkなどの語とともに森本実行委員によって案出され、マンホールナイト勃興前夜から、TwitterなどのSNSでマンホール趣味の広報・勧誘に役立てられてきた。初心者のあなたもそのうち、良い蓋に巡り会った時、心の中で「ナイスマンホ!」とつぶやくようになるだろう。きっとそうなるに違いない。

名古屋市型(なごやしがた)

名古屋市下水道の蓋を手本として普及したと思われるマンホール蓋の地紋を名古屋市型と呼んでいる。下水道マンホールの地味蓋では、東京市型と並んで全国的に使用例の多い主流の地紋である。

紋章座と縁の間の同心円は1本で、内陣が8分割、外陣が12分割となるように放射線が引かれている。同心円3本、内陣8、外陣14だった東京市型と比べてずいぶんとシンプルで、小学生でも簡単に作図できるだろう。

東京では、千住町・大崎町・尾久町・巣鴨町・高田町などの昭和初期着工の下水道で使用された。東京市/都では、土木・道路・公園関係の部署で使用例があるが、数は少ない。

【は】

旗竿ボックス(はたざおぼっくす)

街を歩いていると、上下水道・ガス・電気・電信電話のいずれでもなさそうな、用途不明の小さな蓋に出くわすことがある。

形は丸いものも四角いものもあり、蝶番式が普通か。だいたい差し渡し10~20cmくらいの小さなもので、表面には地紋だけか、あるいは自治体や会社のものではなさそうな紋章や地名の一部らしき文字が鋳出されている。紋章は、そのへんの公立小中学校の校章を思わせるようなセンスのものが割と多いように思う。一般の歩道上にぽつねんとあるようなものは、年を経た骨董蓋の質感に見えることが多い。数量は一つか、ちょっと間隔をあけたところに同様のものがもう一つある二個組の場合がほとんどである。

こういうものの正体の特定はなかなか難しい。文献に載っていることもないし、誰かに聞くにも、問い合わせるべき設置者・管理者が誰なのかわからない。正体がわからないせいで苦労しているのだからあたりまえである。完全に語形が変わってしまう不規則変化の単語を、変化型から辞書で引くくらい難しい。

だが、古い写真の検討や昔の道路利用の調査により、これらは「旗竿ボックス」ではないかという意見が林丈二氏から寄せられた。むかし、行事や祝日のために日の丸を立てたりする機会がいまよりずっと多かった時代、町会などではよく旗竿を立てる孔を設備していたというのだ。

そういわれてみると、いろいろなことが符合する。まず書かれている文字だが、いわれてみれば設置場所の旧町名(例えば、現本郷6丁目であれば本郷森川町がそれにあたる)の一部であることが多い。旧町名は町会やバス停の名前に現役で使われていたりするから、謎の漢字入り蓋を見つけたら、そのへんをうろつけばヒントは隠されているかもしれない。紋章の場合も同じだ。よくよく絵解きしてみると、書かれているのはその地域の町会の名だったりする。設置者は町会類の可能性が大だ。

また、古い写真で、街角に「奉祝紀元節」だの「祝出征○○君」だのといった横断幕を見ることがあるが、あれを張るには二本の竿が要る。ちょっと離れた二個組の蓋の用途は、そういうことだったのではなかろうか。

現在でも、シーズンに七夕の竹飾りを立てるような商店街などに、同様の目的をもった設備はあるようだ。

林 丈二(はやし じょうじ)

1947年生まれの文筆家・デザイナー。1970年から蓋を撮りはじめ、次第に蓋に歴史あるを知るに至る。東京23区の道の3分の1を探索したころ上梓した『マンホールのふた 日本篇』(サイエンティスト社、1984 年)はマンホール趣味の基本文献。この網羅的な踏破の成果は凄まじく、当時存在していた貴重な骨董蓋を数多く記録に留めることに成功した。収載された蓋の多くは既になく、その記録的価値は愛好家からすると聖典なのである。現人神とまで崇めるファンもあるが、路上観察の一ジャンルの創始者としての功績を考えると、それは必ずしも大げさではないのだ。路上観察学会にも所属し、赤瀬川原平ら編『路上観察学入門』(筑摩書房、1986 年)にも寄稿。マンホールに限らず多数の著作があり、街歩き全般から古絵葉書まで守備範囲は広い。

マンホールナイトでは、第3、4、7回に登壇していただいているほか、毎回写真コンテストの個人賞の選考などをお願いしている。

番ホール(ばんほーる)

2001年から設置されている、現行の東京都下水道の人孔蓋の通称。中央部に孔が4つ開いており、そこに人孔番号・所在地情報・管渠敷設年度を示す記番号を示すキャップを嵌めこむことができる。キャップで番号を示すことから、番ホールとの呼び方が愛好家の間で勝手に生まれた。正式には「都型・標準マンホールふた」というようだ。

4つあるキャップのそれぞれの読み方は以下の通り。

1つ目は、黄色なら汚水管、青色なら雨水管を示す。数字はそのマンホールに付けられた番号で、下水道台帳の見開き2ページごとに1から付番されている。

2つ目は、23区全域を区切ったメッシュのうち、南北軸の位置情報を示す。最北端を0Aとし、以降南下するにつれて1A、2A…9A、0B…9B、0C…9Cという要領で続き、9Rまでで23区南端までをほぼ網羅する。ただし実際にマンホールが置かれているのは1Aから7Rくらいまでだという。地図で見ると、なるほど8R、9Rは多摩川河川敷と空港用地しかない。南北軸では175mごとにメッシュ=記番号が切り替わる。

3つ目は、同様にして東西軸の位置情報を示す。こちらは西端から0Aと定義し、1Nくらいまでで23区最東端に達する模様。なお実際に使用されているのは3Aくらいから。東西軸のメッシュは250mで切り替わる。南北軸・東西軸の2つの記番号をしかるべく変換すれば、紙の下水道台帳におけるページ番号を導き出すことも可能となっている。

4つ目は、そのマンホールの下の管渠が建設された年度を西暦下2桁で表す。黄色は1900年代、青色は2000年代を意味する。工事が終わって下水管が新しくなったばかりの現場に行くと、番ホールの4番目は青色でその年の数字になっているはずだ。

まとめると、例えば、【黄色01】【3H】【0H】【黄色60】というキャップが嵌められた蓋があるとする。これを上記の方法で読み解くと、【番号01の汚水管の蓋】で、【南北は3H】【東西は0H】の位置であり、【1960年完成】の管の上にあるということがわかる。位置情報をさらに変換すると、「下水道台帳 1818ページ の 2C に記載」ということまでわかってしまうのだ。

こうした位置情報の読み取り方は、下水道局の中の人に教えてもらってわかったのではない。かねてからキャップの記番号の変化に関心を持っていたマンホールナイト発起人の清水実行委員が、足で集めたデータを地図にプロットするうちに勝手に気づいてしまったのである。

彼を中心にマンホールナイト関係者が総掛かりで修正用データのやりとりを交わし、誤差の原因を突き止め、メッシュのサイズを確定した。そのあげく記番号を入力すればそのメッシュがどこなのか地図上に示してくれるサイト「東京番ホールマップ(※1)」を拵える変質者(白浜実行委員)まで現れた。まさに野生の下水道局である。この番ホールマップ、いまでは専門業者も活用しているとかいないとか。

調査の過程はTogetter(※2)にまとめられて多くのViewを獲得し、なんと『週刊アスキー892号』(2012年8月14日)に、「映画『サマーウォーズ』を田舎の大家族の嫁の視点で観たら」なる胃の痛くなりそうなまとめとともに紹介されてしまった。

※1 白浜実行委員運営の東京番ホールマップ
※2 マンホールの蓋番号から設置箇所の座標特定するマンホールクラスタ

蓋庭(ふたにわ)

蓋の鍵孔・こじり孔・空気穴、また枠と蓋の隙間などに土が詰まり、そこに苔や草などが生育しているものを蓋庭と呼んでいる。類似の概念として「すきまネイチャー」「壺庭」などが路上観察愛好家の間に流通している。

弇(べん)

本来はエンと読む漢字である。意味は覆いや蓋のこと。

街を歩くと、ときどき「制水弁」ならぬ「制水弇」と書かれた、しばしば古い蓋に出くわすことがある。

明治大正時代の辞書や技術書をみると、バルブvalveの訳語として弇が使われている例がしばしばある。なるほど瓣/弁/ベンだけではなく弇/エンという言葉も並列して存在していたのか……と早合点しそうになるが、実のところ、弇の字がちゃんとエンと発音されていた形跡は見つからず、その一方で弇にベンのルビを付した文献はいくつも見つかるのだ。

多分に想像を含むのだが、煩雑である瓣の字の略字として、意味が似ていて書きやすい弇の字を利用していた可能性があると思う。もと水道局員の古老の証言や、○○弇栓と書いてベンセンと読ませる昭和30年創業の水道機器メーカーがあることなどを考え合わせても、弇はあくまでも本来の読みを離れベンとして取り扱われていた可能性が高い。だから、制水弁表記のものと区別したいときでもなければ、制水弇をことさらセイスイエンと発音する必要はないだろう。

ついでながら、弁の字の本来の意味は「かんむり」である。バルブの瓣・弁護士の辯・弁髪の辮・弁当の辨という4種の文字の略字の役割を、本来全く関係ないのに一身に負わされているのが弁なのである。藝(ゲイ)と芸(ウン)が本来全く別の文字であったりと、略字関係でこういう例は多いようだ。

保存蓋(ほぞんふた・ぶた)

現役を退いて取り外された蓋は大抵トン当たりいくらの屑鉄として引き取られ、最近なら中国の超高層ビルの鉄骨になってしまったりする。そうはならず、資料として当局や保存機関に引き取られ保存された蓋のことを保存蓋と呼んでいる。

現在のところ、貴重な蓋が交換された際にかならず保存に回されるような仕組みは確立されていない模様であるが、工事に関係した職員が気にかければ保存されるようなことは昭和期から既に行われていたという。東京都水道歴史館や蔵前水の館などの施設では、戦前に存在した自治体の蓋をそれぞれ一種類くらいは保存しているようだ。

路上に残る希少な蓋が撤去されそうな気配を察知したとき、関係各所に提言することで保存を実現する試みもある。例えば、静岡県の磐田駅前に残っていた幻の私鉄・光明電気鉄道の蓋は、白浜実行委員が現地の埋蔵文化財センターに通報することで保存への道がひらけた。この蓋は当初、地元関係者は現存を認識さえしていなかった模様であり、希少なものと知られず破棄されていた恐れもあった。蓋の保存に至った一連の経緯は白浜実行委員により第10回マンホールナイトで報告されている。

【ま】

マンホール(まんほーる)

狭義では、作業用のひとが出入りするための孔のことをマンホールmanholeという。直訳して人孔である。注意すべきなのは、本来は孔を指す言葉であって、蓋のことをさすのではないということだ。蓋はあくまで「マンホールの蓋」、英語ではmanhole coverと呼ばなければならない。その点、林丈二『マンホールのふた 日本篇』はしっかりしているのに、「マンホールナイト」ときたら迂闊である。

とはいえ世間一般でも、マンホールといったら孔本体よりも蓋の方を示すことが多いようである。マンホールナイトのようなイベントでも、また本稿でも基本的にそれに倣い、断る必要がなければマンホールで済ますことがふつうである。

もうひとつ。マンホール愛好家は、人が出入りするためではない小さな蓋も「広義」という便利な言い訳によってマンホールに含めている。汚水桝、雨水桝、消火栓、量水器、仕切弁、燈孔、消火用吸水孔など、人は出入りしない(できない)設備の蓋も、専門業者ならぬ路上観察者の領分では「マンホール」ということで通っている。あまり厳密を期しても煩雑になりすぎるだけなので、とりあえずこれでよいのではないかと筆者は思っている。「マンホール、汚水桝、雨水桝、消火栓、量水器、仕切弁、燈孔、消火用吸水孔その他の蓋ナイト」という名のイベントなら、誰が来るものか?

なお、マンホールでも燈孔でもない小さな蓋は、その利用実態ゆえにハンドホールと呼ばれることがある。燈孔のように機具を挿入するための孔をマシンホールと言うこともあるようだ。

マンホール愛好家(まんほーるあいこうか)

我々のような人間の総称だが、これを指す造語がいくつか流通しているので紹介する。

比較的見かけるのが「マンホーラー」という言葉で、マンホールイベントを紹介する際に主要メディアでも使われた実績がある。造語の中ではこれが一番ニュートラルで無難なものである。

あまり普及はしていないが、蓋を探す方面の活動に血道を上げるタイプは「探蓋師」を名乗っていたりする。同様に資料の調査研究に耽るタイプは「マンホロジスト」である。どちらも本稿の筆者がでっち上げた概念である。探蓋師は出家すると正蓋師補、正蓋師、正蓋師長と階級を上げ、最終的に解脱して蓋尊師となる(嘘である)。

ごくまれにマンホリストなる言葉もあるようだが、これは恐らくマンホールの蓋を叩いて音楽を演奏する人であると思われる。

また、一般的にやたら「○○女子」だのと型にはめた言いかたをしたがるマスコミは、案の定安易にも「マンホール女子」という言葉をでっち上げた。そもそもこの世界の男女比はもともと同じくらいではないかと思われ、女性陣がなにか特別な傾向を帯びた活動をしているようには思われないのだが、まあ頭の○いマスコミのすることであるから真剣に相手にするだけ損であり、放っておくのが良い。

なおこの際書いておくが、メディアに登場するマンホール女子が大抵同じ面子であることを以て仕込みだの劇団員だの批判的なことを言う向きもあるようだが、マンホールナイト界隈の女性陣に関しては仕込みでも何でもない天然ものの濃いマニアであると明言しておく(多分演劇活動もしていないはずだ)。同じような面子なのは、メディアが他のルートからマンホール女子とやらを見つける努力を単に怠っているためだ。

女子に限らず、マンホールナイト周辺のマニアはみな天然モノで(割烹かなにかのような宣伝文句だが)、マスコミや業界団体の仕込んだ官製マニア・御用マニアではないことは言っておく。そういう「作られたマニア」がマンホールナイトから縁遠いところにいるかどうか、は我々の直接知るところではないのでノーコメント(お察しください)。

マンホール拓本(まんほーるたくほん)

マンホールの上に紙を置き上から鉛筆などでこする(フロッタージュ)ことにより、その蓋のデザインを写し取ったものをマンホール拓本と呼んでいる。ひとさまの蓋に、魚拓や印璽のように直接墨塗りをして拓本を取ってはいけない。それは最悪捕まる。

紙は柔軟かつ丈夫な和紙、入手しやすいものでは障子紙などがよい。こするのは拓本専用の固形墨や全芯鉛筆がよいという。車道で行うと轢かれるので余りおすすめしない。拓本を取りながら死ねるなら本望だというなら止めはしないが……。

愛好家は国内外にそれなりにいるようで、なかには東海道各宿場の蓋の拓本をひとつづきの長い紙に取り集めて絵巻物にしようなどという壮大な試みをする拓本家もいる。外国から日本まで拓本を取りに来たアーティストまでいるそうだ。

マンホールナイト(まんほーるないと)

2011年新春、蔵前水の館で3人のマンホール愛好家がはじめてのオフ会を敢行した。意気投合した3人はなにかイベントをやりたいと画策し、創設メンバーを清水・白浜・竹内とする実行委員会を結成。その結果、同年秋いい蓋の日にくしゃまんべにおいて第1回マンホールナイトが開催された。これは専門家ではない在野の愛好家がマンホールをめぐって楽しむ趣味の集まりとしては、筆者が知る限り今世紀最初のものである(路上観察学会華やかなりし昭和末期に、一度くらいなにかしらあったとの噂は聞いている)。本稿の筆者は第1回にはいち観客として始発まで参加し、第2回で登壇し実行委員にも加わった。

以下にこれまでのマンホールナイトの沿革を述べる。

第2回は2012年7月開催。参加者の増大をみて、2012年11月の第3回には北区の総合施設「北とぴあ」に会場を移転し、さらにこの回から林丈二氏を招聘した。2013年6月に第4回を開催するが、これが最後の夏開催となり、以後はいい蓋の日の前後に年一度の開催となっている。2013年11月の第5回で50人、2014年11月の第6回で80人と規模を拡大。2015年11月の第7回では北とぴあのプラネタリウムにもなるホールを借り、異様な雰囲気であった。これを最後に北とぴあを出て、2016年11月の第8回では江東区総合区民センター、2017年11月の第9回では文京シビックセンター・スカイホール、2018年11月の第10回では北区滝野川会館という具合に流転しているが、いずれも関係者や報道陣含め100人以上の動員となっている。

併催企画として、写真コンテストが定例となっている。受賞者には林丈二氏ら審査員や、協力企業・団体からの賞品が授けられる。街歩きやフィールドワーク(幻の骨董蓋の集団探査)、手芸・工作系のワークショップも不定期に併催している。

マンホールサミットのような、業界発のある種競合するイベントがはじまったのはマンホールナイトが軌道に乗ってしばらくしてからである。かつては、それらの新しいイベントにマンホールナイトが発展的解消のかたちで合流することの可否も検討されたが、むしろ棲み分けの相手とみなして入門編や業界の意向の強いネタはあちらに任せ、マンホールナイトはマニアックな愛好家向けの趣味のイベントとして独自色をだして存続していこうとする方向性を、目下のところ打ち出している。

それでは初心者には参加しにくいのではないか、という懸念は確かにある。まえがきにも述べたとおり、そのためにこの用語集は編纂されたのである。

『マンホールのふた 日本篇』(まんほーるのふた にほんへん)

サイエンティスト社、1984年3月初版第1刷発行。

林丈二氏の第一著書で、マンホール愛好家の間では教科書、バイブルなどと讃えられる基本文献である。近年二十余年ぶりに増刷され(第4刷)、いくらか入手は容易になっているが、それまでは古書店で数千円はしていた。伊藤哲男『マンホール鉄蓋』(東京出版センター、1967年)という技術者の手による概説書を除くと、本邦初の趣味的観点からのマンホール書籍といえる。

1984年の時点で林氏が撮りためていた蓋写真を一挙掲載。前半では東京の各インフラの蓋を、骨董蓋から現行(当時)蓋まで載せているが、資料的価値の点では、今日撤去され姿を消した骨董蓋の姿を記録にとどめていることが第一であろう。後半は地域によって探索の程度にむらがあるものの、やはり希少性の高い蓋の網羅に注力しており貴重である。

この書籍で林氏が示した分類や命名には、東京市型・名古屋市型のようにこの世界の常識として定着しているものがある。

骨董蓋を探し歩いている探蓋師にとって、路上でなにか新発見を見つけて意気揚々と帰宅するも、手にとった本書に紛れもないその蓋の写真を見つけるという経験はよくあることだ。地の果ての柱と思えたものは、お釈迦様の指だった的なアレである。

先の重版でも内容の新訂は行われていないから、記述の内容が初版当時のままで古い、というのは確かにそのとおりである。そのままでは街歩きの教科書として役立てるのはなかなか困難であろう。

そこで本稿の筆者は、『マンホールのふた 日本篇』のうち東京上下水道の部について、記述内容と現状との異同を調査した注釈集を制作した。これと照合すれば、いまの路上観察に役立つ実用書としての利便性がだいぶ向上するはずだ。無償公開しているので、ご関心の向きはTwitterで”林丈二著『マンホールのふた 日本篇』東京・上下水道の部注釈集”を検索されたい。

リンク:”林丈二著『マンホールのふた 日本篇』東京・上下水道の部注釈集”の検索結果(Twitter)

マンホールマップ(まんほーるまっぷ)

マンホールナイトよりも以前から存在する、マンホール写真を投稿できる地図サイト。もともとは蓋に興味がなかった木村実行委員が、クラウドサービスの勉強の為にとそそのかされて開発。以来木村実行委員の慈悲もとい自費により稼働中のサービスである。後発の類似サイトの追随を許さず、目下世界最大級の投稿数となっている。2018年末現在では、もうじき万単位に達しようかという膨大な量の蓋画像を見ることができるのだ。犇めくようなそれはまさに蓋の聖衆来迎図、ありがてえ、なまんだぶなまんだぶ。

基本的な仕組みは、マンホール蓋の写真を所在地の位置情報とともに投稿すると、GoogleMap上に公開されるというもの。投稿にはTwitterアカウントでログインする必要がある。閲覧はログイン不要であるが、ログインしていれば「いいね」にあたる「ナイスマンホ!」をつけることができたりする。

マンホールマップでは、単に蓋を調べたりするだけではなく、なぜか蓋画像を使った神経衰弱やさめがめ、スライドパズルなどで遊べるようにもなっている。ゲームで暇つぶしをしているうちに、いつの間にか蓋趣味がそいつの脳髄に刷り込まれているという初心者洗脳術だ。

すこし前まで、このサイトに新機能が実装されるたびにマンホールナイトでプレゼンが行われるのが定例となっていた。なにか新機能の要望を寄せれば、今後もまた実装と発表があるかもしれない。

リンク:マンホールマップ

#manhotalk(まんほとーく)

Twitter上で、マンホールに関係する投稿をするときによく用いられるハッシュタグ。マンホールトークを縮めたもので、マンホトークと読む。

「ナイスマンホ!」、マンホーラーなどの言葉とともに、マンホールナイト誕生以前から布教活動をしている森本実行委員によって作られた造語である。日本のマンホール蓋文化が日本だけではなく、海外にも広がるようにとの願いが込められている。マンホールをマンホと略す用語の発生には、しばしばこの実行委員が関与している。

初心者の方も、なにかおもしろい蓋を見つけて画像を投稿するときや、素朴な疑問を誰かに投げてみたいときは #manhotalkを使ってみてほしい。#manhotalk_botなる混沌としたアカウントが這い寄ってきて、あなたのツイートをマンホールクラスタじゅうに拡散してくれるはずだ。

リンク:#manhotalk_bot(Twitter)

萌え点(もえてん)

蓋に鋳出された漢字には、ノーマルな字体と比べれば余計な点が打たれていることがある。そうした文字についている余計な点のことを萌え点と呼んでいる。これは書道の観点から言うと「補空」のためのもので、空白を埋めバランスをとって美観を整えたり、あるいは運筆の勢いでそこに打たれたりする、という性格のもの。文字の一部というよりは、ひとつながりの揮毫の中に含まれるアクセント的な記号と認識したほうが良いのかもしれない。

提唱者であるくしゃまんべ店長・竹内実行委員の定義を引用すると、「意図して存在する点であるが、常用の文字では無い」(異体字である)こと、「旧字などに特有の点では無い」(淚にはあるが涙にはないような点とは別物、という意味)こと、「傷やゴミ、エラーによって出来た点では無い」ことが肝心だそうである。

提唱者の分類では、例えば萌え点が発生しやすい「弁」の文字には、点がどこにあるか、文字本体と接しているか離れているか、などによって区別された以下の8種類の萌え点があるという。すなわち「1、ハンカチ落し型 2、萌え尻尾型 3、神の萌え尻尾型 4、予想の斜め上型 5、堕点型 6、堕点使型 7、逆コマネチ型 8、六端十字型」である。文字で見ると面妖そのものだが、画像を見るとすこしは得心が行くかと思う。

その他では、器・枡・吐・弇といった文字(のまわり)に萌え点が現れることが多い。そういうものがあるのだ、とわかったうえで街に出てみてほしい、小一時間も歩けばハンカチ落し型「仕切弁、」の蓋ならひとつは出てくるはずである。

【ら】

路上文化遺産データベース(ろじょうぶんかいさんでーたべーす)

マンホールの蓋をはじめとした、路上に存在する文化的価値のあると思われるものを記録する、wiki方式のウェブサイトである。アカウントを作成すれば、誰でも編集可能である。白浜実行委員が運営する。

対象は路上文化遺産なら何でもいいことになっているが、ほぼマンホール、とくに骨董蓋中心のデータベースとなっているのが現状だ。

東京周辺の骨董蓋の画像と現存状況については、その筋の探蓋師のサイト以上によくまとまった情報源となっている。また、1915年・1929年・1933年の東京市下水道蓋の設計標準図などの貴重資料も公開している。1954年頃の東京区分地図(パブリックドメイン)なんてものもあり、これはマンホール以外の趣味でも役に立つだろう。

課題は、データベースに投稿された位置情報をすべて掲載した総合地図が存在しないことで、整備が待たれる。サイト全体から埋め込み地図中の位置情報を自動で吸い取って一枚のGoogleMapに投稿するツールとか、ないものだろうか。マンホールナイト実行委員にはIT関係のプロが複数いるので、そのうち誰かがなんとかしてくれるかもしれない。

リンク:路上文化遺産データベース

マンホール趣味を知るためのキーワード

2019年5月
企画・監修:マンホールナイト実行委員会(文責:河岸唱平)
著者:マンホールナイト実行委員会 http://manholenight.info
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